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仙台藩伊達家伊達忠宗霊屋

令和5年度 二代藩主伊達忠宗公366遠忌法要記念コラム「感仙殿唐門焼失事件」

2023.07.12

―――感仙殿唐門焼失事件。火付けか、はたまた神火か?

 今回は二代藩主伊達忠宗公の366遠忌法要を記念して、御霊屋感仙殿にまつわるお話をご紹介したいと思います。

◆感仙殿建立
 仙台藩二代藩主伊達忠宗公は万治元年(1658)7月12日、仙台城にて60年の生涯を閉じました。翌年の5月には三代藩主綱宗公により御霊屋造営が命じられますが、落成を見たのは死去から6年後の寛文4年(1664)閏5月のことです。
 この間、綱宗公は幕府から逼塞隠居を命じられ、当時2歳の亀千代(後の綱村公)が四代藩主になるなどの政治的混乱があり、感仙殿完成までには時間を要しました。創建時の感仙殿は、本殿のほかに唐門、橋廊下、拝殿、御供所、廟門、鐘楼、番所、厩などを備えた一構の建築で、その規模は藩祖政宗公の瑞鳳殿に劣らないものでした。

◆感仙殿唐門焼失
 唐門は本殿に附属する建築物の中で本殿に最も近い門です。享保9年(1724)5月3日の午前3時から5時頃の事、この唐門から突然出火しました。幸い本殿や拝殿などへの延焼は無かったものの、奉行の葦名刑部は速やかに登城し、五代藩主吉村公に一報するとともに感仙殿本殿内に安置されていた忠宗公の御木像(御影)を一時的に香華院瑞鳳寺の塔頭 雄心院へ避難させました(「獅山公治家記録」)。
 この感仙殿唐門焼失については記録が乏しく、治家記録を除けば江戸詰(江戸の藩邸で勤務する藩士)であった高橋逸覚行廣が享保年間に記した『享保記』が事件の概要を伝えているのみです。
 曰く、
「義山公の御楼門焼失、御門は赤瓦稀代の珍事也 若し悪人有りて御門に火付けたるか、中に一駄二駄の薪をつみ重ねたるとも、焼失すべからず。尤も一円無風、たとへ又悪人方上(丈)に憤恨ありとも、義山公の御霊に憚りあるべし。乱心ものの所為か、また神火か甚だ不審なり」

〔義山公(忠宗公)の唐門焼失、御門(唐門)は赤瓦で世にまれな珍事である。もし悪人が門に火をつけたとして、馬1頭、2頭分の薪をつみ重ねたとしても(唐門が)焼失するはずがない。たとえ悪人が住職に遺恨あってのことだとしても、義山公の御霊には恐れ慎むだろう。常軌を逸した者の仕業か、神罰(天災)か、とてもいぶかしいことである〕

 高橋行廣が火を付けても薪を積み上げても唐門が焼失するはずがない、と記した根拠は不明ですが、旧暦の5月3日は新暦の5月29日にあたり、5月から7月は梅雨期であるため、湿度が高い状態であったと推測されます。勝手に出火する事は考えにくく、付け火と考えるのが妥当ですが、「神火」を持ち出した所に当時の世相と価値観が垣間見えます。 

 五代藩主吉村公に代替わりをした際、仙台藩の財政は累代の借財や火災による藩邸の焼失、水害などによって厳しい状況となっていました。さらに同じく財政が悪化していた幕府からも1万石につき100石の上米(あげまい)を命じられるなど、藩の懐具合は極めて乏しく、家臣からも手伝金を徴収する施策が取られていました。当然家臣たちの経済状況も一層苦しいものとなり、色々な事柄も厳しく取り締まられていた、そういう時期です。生活を苦にしてかは不明ながら、唐門が燃える2日前にも御子様御廟の崖側の山の上で身元不明の自縊がありました。

 高橋行廣は、『享保記』の中で仁のある政治の時には天が応えるものだ。先々の事にしてもいずれ天が知らしめるだろうし、形のあるものは壊れる時が来る。天地の変は人知の及ぶところではない、と記しています。
「神火」という語は当時の苦しい生活や、諦念から発したものと言えるでしょう。

 結局、事件から3日後の6日に瑞鳳寺の駕籠の担ぎ手であった十助という者が火付けの下手人としてあげられます。5月19日、十助は七北田にて火罪に処されました。治家記録も『享保記』もその動機を明らかにしていません。
管理の不備を問われた瑞鳳寺塔頭 酬恩庵は慎居を命じられる事になりました。

 なお、感仙殿唐門は引き続く財政難の中にもかかわらず再建されていますが、その折、感仙殿廟門が四脚門から冠木門(両脇の柱に冠木〔横木〕を通した形の門)に変更され、元の廟門は善応殿の廟門として移築されています。

   

◆現存する感仙殿廟門
 明治の廃仏毀釈により、感仙殿・善応殿廟域は整理され、本殿以外は取り壊し、或いは移築されました。旧感仙殿廟門は多賀城にある慈雲寺の山門として現存しています。感仙殿本殿は瑞鳳殿、善応殿とともに戦災で焼失したことから、創建時期からの木造建築物としては唯一のものとなっています。機会がございましたらぜひお足運びいただき、在りし日の感仙殿の姿に思いを馳せていただければ幸いです。

<参考・引用>
『獅山公治家記録』(仙台市博物館蔵)
『享保記 乾』(仙台市市民図書館蔵)
『御修覆帳』(宮城県図書館所蔵)
『社寺建築 設計資料』(国会図書館蔵)
『伊達忠宗・伊達綱宗の墓とその遺品』