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仙台藩伊達家伊達綱宗

令和四年度 三代藩主伊達綱宗公312遠忌法要に寄せて

2022.06.04

 伊達綱宗公は正徳元年(1711年)6月4日に72歳で亡くなりました。本日、6月4日は綱宗公312回目の御命日です。

 伊達綱宗公は、寛永17年(1640年)8月8日二代仙台藩主伊達忠宗公の六男として誕生。幼名は巳之助で、15歳に元服しました。万治元年(1658年)7月12日に忠宗公が亡くなった事により、19歳の時に伊達家を相続。その後万治3年(1660年)に、故有って幕府より逼塞を命じられました。
 逼塞の原因など詳しいことは定かではありませんが、一説には飲酒も原因であると言われています。その後、綱宗公は21歳から72歳で亡くなるまで、品川屋敷を出ることなく生涯を過ごすこととなりましたが、逼塞してからも、和歌、書画、蒔絵、茶道、能楽などの才能を発揮し、大変優れた作品を残しています。

 逼塞の一因となってしまったお酒。今回は綱宗公が愛したお酒に焦点をあて、ご紹介します。

 仙台藩とお酒は、藩祖伊達政宗公時代から非常に縁深いものとなっています。仙台城には「造酒屋敷」という施設が仙台城三の丸南側の清水が湧出する清水門の付近にあり、その清水を使用してお酒を造っていました。
 慶長13年(1608年)、お酒を愛した政宗公は、柳生宗矩の紹介で又右衛門という造酒職人を大和国の榧森より御城内定詰御酒御用として呼び寄せます。又右衛門は、出身地の榧森にちなみ榧森又右衛門の姓を名乗り、榧森家は以後268年間に渡って藩の為にお酒を造り続けました。
 造酒屋敷では、米麹と掛米(もろみを造りに使用する米)に白米を使った上酒の諸白だけではなく、夏氷酒・忍冬酒・桑酒・葡萄酒・枇杷酒・みりん酒・みかん酒・覆盆子(いちご)酒・みぞれ酒・しそ酒・梅酒・印籠酒 など、20種類にも及ぶ様々な種類のお酒を造っていました。
 そのなかでも印籠酒というものは、粉末状のお酒で、水を入れふやかして飲む様式のお酒でした。印籠に詰めて携帯して飲むことのできる珍しいお酒だと伝わっています。
 これらの御用酒は、主に仙台城内だけではなく贈答品として、伊達家親族間内や藩内の寺院に送られました。元和9年(1623年)の文書に、政宗公が江戸藩邸にいる忠宗公に対し、諸白と大柳(江戸当時に流行した高級酒)の2種類の御用酒を送っている記録も残っています。

 綱宗公が仙台に初入国したのは、1659年(万治2年)5月14日。1660年(万治3年)3月には、仙台を離れて、江戸城小堀川普請のため江戸に行き、同年7月には逼塞となっているため、綱宗公が仙台に滞在したのは、実質300日程度でした。
 綱宗公自身が江戸藩邸や仙台城にて仙台の御用酒を口にしていたかはわかりませんが、仙台藩のこだわりのお酒に舌鼓を打っていたのかもしれません。

 令和4年6月4日現在、仙台城への道路(市道仙台城跡線)が2022年3月に発生した地震の影響により城内の石垣が崩落し不通となっています。
 瑞鳳殿から徒歩で仙台城へ行くには、東丸(三の丸)跡から巽門(仙台市博物館付近)を通っての道のりとなります。
 今回お話しました、造酒屋敷とお酒造りに使用していたといわれる「清水」は、瑞鳳殿から仙台城への徒歩での通り道、仙台博物館の南側にあります。清水は、現在も枯れる事なく湧出しております。ぜひ仙台藩御用酒発祥の地にて、当時のお酒文化に思いをはせてみてはいかがでしょうか。


写真1 造酒屋敷跡(3月25日撮影)


写真2 御用酒に使用したと伝わる清水(5月21日撮影)

参考文献
仙台市教育委員会2020『仙台城15』仙台市文化財調査報告書第485集
寺崎巻石編1917『藩祖以来仙臺物産誌』
東京史料編纂書編1908『大日本古文書 家わけ第三伊達家文書之二』
宮城県酒造組合 1962『宮城県酒造史 別篇』
仙台市史編さん委員会 2003年『仙台市史 通史編4 近世2』 他

画像:伊達綱宗筆自画像 出典『伊達騒動実録』大槻文彦